承認欲求が生む悲しきモンスターからの脱却


承認欲求とは、「他者から認められたい、自分を価値ある存在だと思いたい」という欲求

:友人A:他者承認に依存

:友人B:自分の価値は自分で決める


の性格レーダーチャート


①数値への依存

「いいね」の数、フォロワー数、閲覧数などの「数字」こそが、自分の価値の証明であると信じ込み、数値の増減に一喜一憂する。

②即時性の追求

発信したことに対して、すぐに反応がないと不安になる。既読スルーや反応の遅れを「拒絶」や「無関心」と捉えてしまう。

③演出された自己

「他者から見られる自分(映える自分)」を作ることに注力し、本来の自分の感情や生活との乖離(ギャップ)が広がっている。

④相対的剥奪感

SNS上の他者のきらびやかな成功や幸福を見て、「それに比べて自分は不幸だ、劣っている」という感覚に常に苛まれている。

⑤無視への恐怖

批判されること(炎上など)よりも、「誰からも反応されないこと(透明人間扱い)」を最も恐れ、過激な行動をしてでも注目を集めようとする。


①数値への依存
10
②即時性の要求
9
③演出された自己
9
④相対的剥奪感
10
⑤無視への恐怖
8

あーあ、昨日の投稿、消しちゃおうかな。渾身の力作だったのに、いいねが30件しかつかなくてさ。なんか、滑ったみたいで恥ずかしいよ。(→ 友人Aは価値を「数値」で判断し、基準に達しない自分を否定しようとしている。)

えっ、あのカフェの写真? すごく綺麗に撮れてたし、文章もあなたらしくて良かったよ。30件も反応があったなら十分じゃない? なんで消す必要があるの?

だって、同じような写真をあげた〇〇ちゃんは、軽く200いいね行ってたんだよ。それに比べて私なんて…。なんか、私の投稿には価値がない、って言われてる気がして落ち込むんだ。

〇〇ちゃんとあなたは違う人間だし、フォロワーの層も違うよ。誰かと比べて『負けた』と思う必要はないんじゃないかな。大事なのは、あなたが『そのカフェに行って楽しかった』という事実の方でしょ?(→ 友人Bは比較の無意味さを説き、体験そのもの(内的な事実)に目を向けさせようとする。)

楽しかったけど…誰にも羨ましがられないなら、行った意味がない気がしちゃうんだ。最近は、自分が楽しいかどうかより、『みんなが反応しそうかどうか』で行動を選んでる気がする。なんか疲れてきた。

それが『承認欲求の疲れ』だね。自分の人生のハンドルを、他人に握らせちゃってる状態だよ。『みんなのための友人A』を演じるのは、もうやめにしない?

ハンドルを他人に…。確かにそうかも。でも、他人から『いいね』って言われないと、自分で自分を認められないんだよ。どうすればいいの?

『他者承認』の前に、『自己承認』のタンクを満タンにするんだ。SNSに上げるためじゃなくて、Eさんが一人で楽しむためだけの時間を過ごしてみなよ。誰にも見せず、数字もつかないけど、自分が『最高だ』と思える時間。それが自信になる。

誰にも見せない、自分のためだけの時間か…。怖いけど、少し贅沢な気もするね。今週末はスマホを置いて、好きな本を読んで過ごしてみようかな。

それがいい。自分が自分に『いいね』を出せれば、他人の反応なんて気にならなくなるよ。その時のEさんの顔の方が、SNSの写真よりずっと素敵だと思うよ。



承認欲求が過大になると、時と手段を選ばず暴走しがちです。 現代社会、特にデジタル社会において「承認への渇望」が強い人が多くなっているように感じます。 すぐにSNSに写真をあげるのも承認欲求ではないでしょうか。 何もトラブルが起きなければ(他者に迷惑をかけなければ)問題ないと思いますが、些細なことからトラブルは起きるものです。 適度であれば、認められたいと成長の糧になりますが、過剰になると精神的な依存を引き起こします。 自分を客観視して、コントロールすることが大切です。


投稿日: 2026年1月7日 - 更新日: 2026年1月7日