:友人A:他者承認に依存
:友人B:自分の価値は自分で決める
「いいね」の数、フォロワー数、閲覧数などの「数字」こそが、自分の価値の証明であると信じ込み、数値の増減に一喜一憂する。
発信したことに対して、すぐに反応がないと不安になる。既読スルーや反応の遅れを「拒絶」や「無関心」と捉えてしまう。
「他者から見られる自分(映える自分)」を作ることに注力し、本来の自分の感情や生活との乖離(ギャップ)が広がっている。
SNS上の他者のきらびやかな成功や幸福を見て、「それに比べて自分は不幸だ、劣っている」という感覚に常に苛まれている。
批判されること(炎上など)よりも、「誰からも反応されないこと(透明人間扱い)」を最も恐れ、過激な行動をしてでも注目を集めようとする。
SNSでの反応を気にしすぎて疲れている友人A(承認欲求過多)に対し、友人B(自己承認ができている)が、評価の軸を「他者」から「自分」に戻すよう対話している場面。
あーあ、昨日の投稿、消しちゃおうかな。渾身の力作だったのに、いいねが30件しかつかなくてさ。なんか、滑ったみたいで恥ずかしいよ。(→ 友人Aは価値を「数値」で判断し、基準に達しない自分を否定しようとしている。)
えっ、あのカフェの写真? すごく綺麗に撮れてたし、文章もあなたらしくて良かったよ。30件も反応があったなら十分じゃない? なんで消す必要があるの?
だって、同じような写真をあげた〇〇ちゃんは、軽く200いいね行ってたんだよ。それに比べて私なんて…。なんか、私の投稿には価値がない、って言われてる気がして落ち込むんだ。
〇〇ちゃんとあなたは違う人間だし、フォロワーの層も違うよ。誰かと比べて『負けた』と思う必要はないんじゃないかな。大事なのは、あなたが『そのカフェに行って楽しかった』という事実の方でしょ?(→ 友人Bは比較の無意味さを説き、体験そのもの(内的な事実)に目を向けさせようとする。)
楽しかったけど…誰にも羨ましがられないなら、行った意味がない気がしちゃうんだ。最近は、自分が楽しいかどうかより、『みんなが反応しそうかどうか』で行動を選んでる気がする。なんか疲れてきた。
それが『承認欲求の疲れ』だね。自分の人生のハンドルを、他人に握らせちゃってる状態だよ。『みんなのための友人A』を演じるのは、もうやめにしない?
ハンドルを他人に…。確かにそうかも。でも、他人から『いいね』って言われないと、自分で自分を認められないんだよ。どうすればいいの?
『他者承認』の前に、『自己承認』のタンクを満タンにするんだ。SNSに上げるためじゃなくて、Eさんが一人で楽しむためだけの時間を過ごしてみなよ。誰にも見せず、数字もつかないけど、自分が『最高だ』と思える時間。それが自信になる。
誰にも見せない、自分のためだけの時間か…。怖いけど、少し贅沢な気もするね。今週末はスマホを置いて、好きな本を読んで過ごしてみようかな。
それがいい。自分が自分に『いいね』を出せれば、他人の反応なんて気にならなくなるよ。その時のEさんの顔の方が、SNSの写真よりずっと素敵だと思うよ。
現代社会では「他者承認(他人から認められたい)」が刺激されやすい環境にありますが、健全な精神状態を保つには、友人Bが指摘したように「自己承認(自分で自分を認める)」の比重を高めることが不可欠です。
• 他者承認
コントロール不可能(他人の気分次第)、終わりがない(もっと欲しくなる)。
自己承認
コントロール可能(自分の基準次第)、安定している。
承認欲求自体を否定するのではなく、「SNSの数字」以外の場所(仕事の達成感、趣味の没頭、家族との対話など)に承認の源泉を分散させることが、依存から抜け出す鍵となります。
承認欲求が過大になると、時と手段を選ばず暴走しがちです。 現代社会、特にデジタル社会において「承認への渇望」が強い人が多くなっているように感じます。 すぐにSNSに写真をあげるのも承認欲求ではないでしょうか。 何もトラブルが起きなければ(他者に迷惑をかけなければ)問題ないと思いますが、些細なことからトラブルは起きるものです。 適度であれば、認められたいと成長の糧になりますが、過剰になると精神的な依存を引き起こします。 自分を客観視して、コントロールすることが大切です。
投稿日: 2026年1月7日 - 更新日: 2026年1月7日